03/04/17配信 001号創造欲というものは、それが偶然やって来ない限り、喚び起す事は難しいものだ。しかしそれを殺す事は、至って易しいのだ。 今回は創刊号という事で、「創造の本質」を語った言葉を取り上げてみました。 これは俳優修業の中で、レッスンに遅刻し、その重大さを理解していなかった生徒に芸術家の根本的な姿勢を教示した言葉で、この後に集団の創造活動に於ける考え方を説き「俳優は軍人に劣らず、鉄の規律に従わねばならない」と締めくくっています。 また、特に最初の稽古がその仕事全体を左右する重要な時間である事も説いています。 生まれた創造欲を育て、やがては自分自身を創造的状態と呼ばれる状態に高める事を習慣とすることが大切でしょう。 |
03/04/28配信 002号創造過程は、詩人、作家、戯曲の演出家、俳優、舞台装置家、その他上演に関係する人々の想像上の構想から始まるので、一番最初は【想像力とその構想】【魔術的なもし】【与えられた環境】であるべきである。 今号配信の言葉は、俳優修業の中で演技者の創造的状態(特に内部の創造的状態に関して)に於いて、そこに構成されている要素を順序立てて整理したものです。少し長くなりますが、システムの内的準備に対する教えの輪郭が分かりやすく述べられているので、続きを引用してみましょう。 ひとたびテーマが確定されたならば、それは取り扱いやすい形にされねばならず、従ってそれは【目標を有する単位】に分割される。如何ですか? かなり難解なものになってしまいましたが、演技者が辿る内的な流れが簡潔に解説されていて、創造過程で迷った時にはこれをチェックすれば、自分が今どの状態で躓いているのかが分かり易くなることでしょう。 勿論K.Sが云っているように「それは多くの部分として習得され、次いで綜合されて、一つの全体とならねばならぬ一つのシステム」なので、そう簡単に全てをマスター出来る訳ではありませんが…。 次号からは、各要素が「部分として習得される」のを助けるような言葉を選んで配信していきたいと思います。 |
03/05/08配信 003号舞台では走らんが為に走ってはならないし、悩まんが為に悩んではならない。 システムでは行動という言葉が非常に大きな意味を持ちます。 それは、役の人物が虚構世界の中で行う行動の事でもあり、また俳優が演技として行う現実世界の行動の事でもあるのですが、これらが融合され統一された【行動】が、俳優芸術の基礎であると教えています。 俳優を英語でアクター(actor)と言いますが、これは「行為者」という意味です。 またドラマ(drama)という言葉も、もともとはドラン(行為を為す)という言葉から生まれたものです。 つまり演技とは行動をする事であって、状態や結果を説明することではないのです。 今回の言葉は、結果のための結果・状態のための状態を説明しようとしてしまう、よくある間違いを戒めた名言です。 |
03/05/19配信 004号舞台では、どんな事があっても感情のための感情を喚起する事を直接目指した行動というものはありえない。 前回配信の言葉が、主に【行動】の外的側面に対しての警句であったのに対して、今回の言葉はその内的側面に対する教えです。 監督や演出家は、ダメ出しで結果を要求します。 「その台詞はもっと悲しそうに」とか「このシーンはもっと明るく楽しそうに」とか…。 しかしそれを受ける俳優がそのダメを直接解決しようとすると、今回の言葉のように「わざとらしさに終わる」事になってしまいます。 「悲しそうに言葉を言う」というのは「言葉を言う」という行動の、一つの結果です。 その行動が、楽しそう・不愉快・怒って・虚ろに・希望に満ちて・戸惑いながら・断腸の思いで…等々の様々な言い方の中の一つである「悲しそうに」と云う色合いを帯びていると云うだけの事なのです。 「明るく楽しそうに振る舞う」と云うのも、振る舞う(と云う一語で表された何らかの行動をする)時に「結果として明るく楽しそうに見える」色合いを帯びていると云うことです。 したがって、俳優としては『結果としてそういう色合いを帯びる』ような前提条件を探し出すところから始めなくてはならないのです。 そして、その「言葉を言う」という行動によって「どうしたいのか」という【目標】を見つけ出さねばなりません。 これらの作業無しにいきなり結果に近づこうとすると、自分が感じてもいないものを表現しなければならなくなります。 創造活動に無理非道を強いることとなり、精神的脱臼が起こるのです。 そういう俳優は、何もできないか、何かをでっち上げて自分自身の空虚さを誤魔化すかのどちらかに成り果てる事でしょう。 |
03/05/30配信 005号舞台では、外面的にせよ内面的にせよ、役と戯曲に関係づけられた明確な目的を持って行動していなければならない。 前回、前々回と【行動】について書かれた言葉を紹介してきましたが、今回もやはり真の意味での【行動】に関するものです。 ただし、今回の言葉の中には【役と戯曲に関係づけられた】【明確な目的】【内的能動性】という、システムを同化するために重要な三つの要素も入っています。 個々の要素についてはまたいずれ触れるとして、ここでは【行動】を生み出すものは内的な能動性であり、また【行動】さえも【行動のための行動】になってはならないと云うことを再確認して下さい。 これは長く稽古をしていると陥りやすい罠で、それが最初に生まれた時には必然的にあった内的能動性が失われ、機械的な運動になり下がりやすいからです。 (尤も、監督や演出家につけられた動きや台詞回しを遂行しようとする事だけが目的の俳優は、最初から内的な能動性など無く、従って最初から【行動】出来ていないのですが…) 尚、俳優修業では、外的無行動が内的行動の結果であることの一例として、大きな問題にぶつかった時の人間の心の動きと外的な不動の例や、歩いていた人が何か重要なことを思い出して急に立ち止まった瞬間の例などをあげて説明しています。 |
![]() |
![]() |
Copyright(c) Tolzov-3 all rights reserved.
当サイトの著作権は他文献の引用部分や一部の画像等を除きTolzov-3 に帰属します。著作権法で許可されている私的利用目的の複製以外、当サイトの内容の一部及び全部の、複写・転用・無断転載等を禁止します。 |