システムを巡る論争と俳優修業出版の背景について2
システムを巡る論争と俳優修業出版の背景について
(3)

「システム」と上演様式との同一視」の問題も考慮しなければならないでしょう。

K.Sに「演技者の文法」の発想を生みだしたのは、自己の体験による、訓練されていない俳優が陥る紋切型の問題からでした。
当初この問題を解決するためにK.Sは外的側面から近づいた訳ですが、それは自然主義・写実主義の傾向となりました。
紋切型のわざとらしさを消すために、台詞や仕草の表現に写実的な方法を使ったわけです。
演出的にもミザンセーヌや各種効果などにそれが用いられ、現在では当たり前に使われている「静かさを表現するための時計の秒針の音」等が生み出されました。
それらは成功したものもあり、失敗したものもあるのですが、結果として『システム=自然主義・写実主義』という図式が定着してしまったのです。

実際には1903年から計画され、翌年六月に発足したポワルスカヤ街のシアタースタジオでの実験の頃には新しい表現形式の探求は始まっていましたし、その後のシステムの内的要素の探求は「上演形式」とは直接的には全く関係のない、別の次元の問題なのですが、チェーホフ作品を初めとする初期の芸術座の演出や、新しい表現形式の実験が不成功だった事などもあり、やがては「システム=社会主義リアリズム」というレッテルまで貼られることになってしまうのです。

「上演形式(○○イズム)自体は劇芸術の目的には成り得ない。それはイデオロギーを整理して見せるプロパガンダでしかない。劇芸術には人間的で創造的な根本課題こそが必要なのだ」


と主張するK.Sは、システムが自然主義と同一視される事を常に気にしていました。
しかしこの見方は彼の死後までも残ってしまったようで、旧ソ連のある評論家は、異常とも思えるほどの国家への忠誠心的口調でこの二つを結びつけていました。
この、システムという「創造への道程」と「最終的な表現としての形式(様式)」の同一視が、システムを極端に狭い方法論とみなしてしまったことは、やはり大きな誤解でしょう。


尚、俳優修業の、

諸君の役をまず意識的に計画して、それから、それを正確に演じたまえ。その点では、役の内的準備におけるリアリズムはおろか、ナチュラリズムさえも不可欠である。なぜならば、それは君の潜在意識を活動させて、インスピレーションの爆発を誘致するからだ。


と云う部分を取り上げて、システムをリアリズムやナチュラリズムと同一視する人もいますが、これも間違いで、ここでK.Sが語っているのはあくまでも「役の内的準備におけるリアリズムやナチュラリズム」であって、外的表現形式としてのそれらではないからです。

このことは、K.Sから長年、直接の指導を受けた者もなかなか理解できなかったようで、「演出者と俳優(1936年に行われたK.Sと芸術座の俳優・演出者達の会合の記録)」のなかに興味深い記録があります。
誰がどの位システムを正しく理解できていたのかが垣間見られるので、機会があれば一読をお勧めします。




(4)

最後に、俳優修業出版に関する諸事情をあげておきましょう。

1926年頃から断章を纏め上げる作業が続けられていた「ある演劇学校の生徒の日記」は徐々に形を成してゆきますが、1930年に一つの転機を迎えます。
それはこの本が2分冊(「体験」と「役の形成」)にされるという決定で、「一巻本では1200ぺージにもなり、とても売れないだろう」と云う、ソビエト・アカデミア出版局の理由からでした。
また、「形象の表現のための仕事」を扱った部分と合わせて3分冊にという意見もあったようです。
分冊に関してK.Sは、それにかかる時間の問題と共に、

分冊にするとしたら、巻頭に全体の構想を載せなくてはなりません。それがなければ、一巻めの「体験」が出版されたら、まるで体験(「システム」及び体験の芸術の流派の主張)が超自然主義的な性質のもののように受け取られ、けなされるのがオチでしょう。


というような意味の手紙を編集者に送っています。

そしてこの時、編集者のハプグッド夫妻に削除・変更に関する自由裁量権と出版に関する代理権を与えます。
これは本を出版するためにやむを得ない判断だったようですが、やがて大きな問題へと発展していきます。

その後1936年1月まで手を加えられ続けた「体験」の原稿はニューヨークの編集者へ渡されるのですが、 当初の予定であったエール大学出版局から長すぎて売れそうもないと云う理由で出版を拒否され、出版社がシアター・アーツ・ブックスに変更になります。
これはハプグッド夫人が代理権を使って交渉した結果なのですが、こちらも夫人がかなりの削除をしてくれれば、という条件付きでした。
K.Sにとっては条件をのむか、自分の探求の集大成ともいうべき本の出版を取りやめるかという二者択一しかなく、しかもスイスで結核の治療を続けていた息子のイーゴリのためにもお金が必要でした。

そんな訳で彼はこの条件に同意し、1936年に「ある生徒の日記 自分自身への仕事−体験−」の英語版は「An Actor Prepares」として出版されるのですが、K.Sはすぐにロシア語版への改訂に取りかかります。
また「役の形成」の原稿にも手を入れ続けますが、結局彼の生前に発行されたのは英語版「An Actor Prepares」だけとなってしまいました。

さて、彼の死後、「自分自身への仕事−体験−」のロシア語版が発行されると大きな波紋を呼びました。
英語版と比較すると、英語版には多くの削除箇所が見られる等、英語版が非難を浴び始めたのです。
ベネディティのスタニスラフスキー伝を引用すると

シアター・アーツ・ブックスは不安になり、わざわざ専門家を雇って一行一行対比させた。この結果出された、公証された声明で、くどくどした箇所の削除を除き、両所がまったく同一のものだと結論づけられた。だが、もはやこうした見解は認められない。重大な箇所の省略と基本用語の訳語の不統一が、 スタニスラフスキーの考えの重大な歪曲をもたらしている。ハプグッド夫人が翻訳した他の重要な著作での削除についても、同様に納得いくものではない。

著作権がきびしく押さえられていたので、ハプグッド夫人の誤りは観念的にも言語的にも、夫人版から作成された翻訳にまで持ちこされてきている。幸いにもドイツ語やスペイン語を読みこなせる者は、ロシア語テキストから直接翻訳された東ドイツ版やアルゼンチン版を参照できる。また、新たに増補された九巻のソビエト版が出版されれば、ハプグッド版と新版の違いがいっそう大きくなることだろう。


とあります。
削除した部分が、本当に「くどくどした文章」だけの箇所なのか、もう一歩踏み込んだところまで述べた箇所なのか、幾つもの例題をあげて分岐や変化・変形を述べた箇所なのか、あるいは微妙な条件の差異を取り扱った箇所なのか等は、どんな「専門家」が検証するのかで結果は違ってきます。
言語学的な専門知識だけでは「システム」は理解できませんし、実際K.Sから直接、実地に学んだ「プロの俳優」でさえ、ほとんどの人が理解できていなかった代物です。
したがって、専門的な用語の意味やその訳語の不統一を含めて、このベネディティの見解は的を射ているといえるでしょう。

尚、後半の著作権についてですが、これは1964年にアメリカでの著作権を保護するためにハプグッド夫人が行った処置で、「体験」「役の形成」を含むK.Sの幾つかの作品に対して、自分と夫を「共同執筆者」として合衆国著作権局に申請したもので、この申請は認められました。
つまり、ロシア語版から新たに翻訳し直すとしても煩雑な法的手続きをとり、ハプグッド家にも印税を支払わなければならなくなったわけで、これが世界中でロシア語版の研究を妨げた理由となってしまいました。
ハプグッド夫人に著作権の保護以外に他意はなかったとしても、これは残念な現実でしょう。


さて、「俳優の役に対する仕事(役の形成)」が出版されたのは、K.Sの没後、10年が経ってからでした。
彼は没年までその原稿に手を入れ続けていましたが、(彼の認識では)決定稿には至らず、遺稿はそのままの形では出版できなかったようです。
章立ての順序や細かい補足などが加わって、最終的な書籍としての形をとるのにかかった時間はあまりにも大きく、ここでも大きな誤解が生じてしまいました。

K.Sが予想していたように「システム=体験」という捉えられ方が世界中に広まっていたのです。
当然それに伴う「システム」に対する否定的見解も数多くでてきて、「システムを元にしながらも…」等という新演技論が出回り始めます。
あるいは「K.S+メイエルホリド=ワフターンゴフ」などという公式も生まれました。
システムは歪曲され、「古きもの」というレッテルまで貼られて倉庫の奥に押し込められたのです。

10年後、「俳優の役に対する仕事」が出版されて、情勢は大きく変わります。
チェーホフの言葉を借りれば、「すべて、そこに書いてあった」のです。
そしてさらに「形象の表現のための仕事」の研究に及び、ソビエト国内は勿論の事、世界中で「K.Sの名誉回復」という事につながっていきます。
しかしシステムの様々な研究者も述べているように、名誉回復という言葉自体が、それまでの不正確な認識に基づく大きな誤解を示しています。
いみじくも、ワフターンゴフがその小論文の中で厳しく警告したとおりの誤りが、30年も続けられていたのです。

これは、その全貌が明らかにされるまでの時間的な問題から、不幸ながらも不可抗力的なものもあったでしょう。
しかし一通りの資料や記録が出そろった現代では、それらの検証と実践は当時と比べればそれほど困難なものでは無いはずです。
トフストノーゴフが述べているように「多くの人にとってシステムは、まだ読んでいない本か、読み始めても難しくて、最初の数ページで止まっている本だ」という事にならないようにしたいものです。


最後に、出版に関連する補足として、イデオロギーの問題を加えておきましょう。

1931年、ロシア・プロレタリア作家協会などから、「システムは観念論的で、プロレタリア芸術に敵対する」というイデオロギー的な攻撃が始まりました。
ベネディティのスタニスラフスキー伝には、その攻撃の内容が次のように記されています。

それ(プロレタリア作家協会の主張)によると、
『「システム」は「反歴史的」で「抽象的な永遠性」を扱っており、「多様な社会的特質を、一般的な人間の生物学的行為の幾つかの基本的法則」に還元してしまっている。また、「社会的政治的問題を、倫理、道徳の概念の言葉」に置き換え、「俳優がリアリティを認識していく複雑な過程」を「素朴な子供じみた信条」、つまり「ナイーヴさ」とか「創造的なもしも」に変形させている』というのだ。
「魔術的な」という言葉は、口にすることすら許されなかった。


お国柄、と云ってしまえばそれまでですが、何ともばかばかしい話です。
実際、「体験」のロシア語版の校正原稿では「潜在意識」という言葉が意図的に削除されていたそうですし、「潜在意識」に関する章の最後の数段落も、検閲を通す為にK.S自ら削除したそうです。
また、体験のロシア語版に「用語は稽古の過程で自然に生まれてきたもので、科学的及び哲学的な言い回しを用語として使っているわけではないし、自分が作りだしたものでもない」という序文をわざわざ書き加えているほどです。



この項の引用資料
◆ワフターンゴフの演出演技創造/ゴルチャコーフ著/高山図南雄訳編/青雲書房
◆スタニスラフスキィの生涯(=スタニスラフスキィ・システムの形成)/マガルシャック著/高山図南雄訳/未来社
◆演劇の革新/ワフターンゴフ/堀江新二訳/群像社
◆スタニスラフスキー伝 1863−1938/ジーン・ベネディティ著/高山図南雄・高橋英子訳/晶文社
◆俳優修業/スタニスラフスキィ著/山田肇訳/未来社

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