逢魔が時物語 II
厄祓い紀行(弐)




さて、無事に晴明神社へのお参りも終わり、時計を見ると帰りの新幹線までまだだいぶ時間がある。
せっかく京都まで来たのだからと、すこし名所を訪ねることにした。

とは云っても、私も逢魔プロジェクトの関係者である。
ごく普通の観光名所を廻っても面白くない。
ここは一つ、逢魔らしくマニアックな所を廻ろうと、ホテルでもらったイラストマップを広げた。

京都にはM池やKトンネル等の、有名な心霊スポットと呼ばれるところが幾つもある。
こちらへ来る前に、CD語り部のYから「逢魔のネタにならないよう、気をつけて行ってきて下さいよ〜☆」とメールが来ていたが、ヤツの小悪魔スマイルを知るものにとっては、絶対にネタになる何かを期待している事は明白である。

ならば一つ・・・と、役者としてのサービス精神が頭をもたげるが、必死でねじ伏せる。
こんなところで命がけのサービスしてどうする!
まして今回は厄よけが目的である。
厄よけに来て何かを連れて帰ったのでは意味がないので、いわゆる心霊スポットは避けることにした。

とりあえず興味のあった本能寺へ行ってみる事にする。
「敵は本能寺にあり」の、あの本能寺である。
しかし私が不勉強で、行ってみて初めて分かったのだが、本能寺は秀吉により現在の地に移転、旧本能寺の跡地は小学校となり、現在はその小学校も廃校となったらしい。
しかし現本能寺の奥には信長の御霊を祀る「信長公廟」が、蝉時雨に護られるかのように、しめやかな佇まいをみせていた。

人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり・・・
合掌   




  本能寺の正門。由緒のある寺らしく、
  いかにも、という感じではあるが…


それは、アーケード商店街の中にあった!
いや、むしろ門前町の方が近代化したと
云うべきなのか。




寺の境内。大樹の下で涼をとる人達も。


ここに第六天魔王が眠っているのか…




廟の奥には信長の鎮魂碑が…


   そしてその横には、本能寺の変で亡くなった
   人たちの合祀碑と連名が書かれていた。


さて、本能寺を出て、もう一つ目を付けていた「池田屋騒動之址」に向かう。
これはイラストマップに小さく名前だけ書かれていたのだが、妙に心を惹かれた場所だ。

時は幕末、旅籠「池田屋」で会合中の宮部鼎蔵・吉田稔麿・望月亀弥太ら憂国の志士達を、近藤勇・藤堂平助・沖田総司らの新選組隊士が急襲し、壮絶な斬り合いを繰り広げたところである。

しかし結論から云えば、残念ながら私はこの場所に行き着くことは出来なかった。
地図を頼りにその界隈を一時間以上も歩き回ったのだが、それらしきところは見あたらない。
地元の人に聞いてもほとんどの人が首を傾げるだけで、とあるお寺のご住職から「今ではパチンコ屋の隅に小さな石碑があるだけになってしまった」という話が聞けたのは、もう陽も傾き始めた頃だった。

新幹線の時間も迫っていたので探索をあきらめ、近くを流れる高瀬川の川縁で名残の一服をする私の前を、祇園祭に繰り出すのだろうか、夕刻の志士たちが賑やかに通りすぎていった。


と云うわけで、無事に編集打ち合わせ&お祓いを済ませてきたのだが、今回一番衝撃を受けたのが、これである。

サンダーバードの基地でもなければ、ウルトラ警備隊の発着所でもない。
これは京都の地下鉄、東西線のホームの写真である。
昨今の転落事故の対策なのだろう、プラットホーム全体が自動ドアと透明パネルで完全に覆われている。
これなら転落事故はまず有り得ないし、列車の騒音や機械臭もある程度防止できるだろう。

昔、高架式の高速道路が未来の絵として描かれていて、それを現実に目の当たりにした時にはかなり感動したものだが、このホームのシステムはそれを上回るものであった。





地元の人にとっては日常の一コマ?
私はアウアウ云いながら写真を撮りまくって
しまった。お登りさん丸出しである。


  色使いもデザインもカッコいいドア。
  向こう側からエイリアンが襲ってきたら、
  SF映画に有りそうなシーンになるだろう。




 列車が到着すると、まずホーム側のドアが
 開き、続いて列車のドアが開く。
 この連携プレイ(?)もイカス!!(死語)


  感動に立ちつくす私を後目に、列車は
  静かに走り去っていった…




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