さて、無事に晴明神社へのお参りも終わり、時計を見ると帰りの新幹線までまだだいぶ時間がある。 せっかく京都まで来たのだからと、すこし名所を訪ねることにした。 とは云っても、私も逢魔プロジェクトの関係者である。 ごく普通の観光名所を廻っても面白くない。 ここは一つ、逢魔らしくマニアックな所を廻ろうと、ホテルでもらったイラストマップを広げた。 京都にはM池やKトンネル等の、有名な心霊スポットと呼ばれるところが幾つもある。 こちらへ来る前に、CD語り部のYから「逢魔のネタにならないよう、気をつけて行ってきて下さいよ〜☆」とメールが来ていたが、ヤツの小悪魔スマイルを知るものにとっては、絶対にネタになる何かを期待している事は明白である。 ならば一つ・・・と、役者としてのサービス精神が頭をもたげるが、必死でねじ伏せる。 こんなところで命がけのサービスしてどうする! まして今回は厄よけが目的である。 厄よけに来て何かを連れて帰ったのでは意味がないので、いわゆる心霊スポットは避けることにした。 とりあえず興味のあった本能寺へ行ってみる事にする。 「敵は本能寺にあり」の、あの本能寺である。 しかし私が不勉強で、行ってみて初めて分かったのだが、本能寺は秀吉により現在の地に移転、旧本能寺の跡地は小学校となり、現在はその小学校も廃校となったらしい。 しかし現本能寺の奥には信長の御霊を祀る「信長公廟」が、蝉時雨に護られるかのように、しめやかな佇まいをみせていた。 人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり・・・ 合掌
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![]() 本能寺の正門。由緒のある寺らしく、 いかにも、という感じではあるが… |
![]() それは、アーケード商店街の中にあった! いや、むしろ門前町の方が近代化したと 云うべきなのか。 |
![]() 寺の境内。大樹の下で涼をとる人達も。 |
![]() ここに第六天魔王が眠っているのか… |
![]() 廟の奥には信長の鎮魂碑が… |
![]() そしてその横には、本能寺の変で亡くなった 人たちの合祀碑と連名が書かれていた。 |
さて、本能寺を出て、もう一つ目を付けていた「池田屋騒動之址」に向かう。 これはイラストマップに小さく名前だけ書かれていたのだが、妙に心を惹かれた場所だ。 時は幕末、旅籠「池田屋」で会合中の宮部鼎蔵・吉田稔麿・望月亀弥太ら憂国の志士達を、近藤勇・藤堂平助・沖田総司らの新選組隊士が急襲し、壮絶な斬り合いを繰り広げたところである。 しかし結論から云えば、残念ながら私はこの場所に行き着くことは出来なかった。 地図を頼りにその界隈を一時間以上も歩き回ったのだが、それらしきところは見あたらない。 地元の人に聞いてもほとんどの人が首を傾げるだけで、とあるお寺のご住職から「今ではパチンコ屋の隅に小さな石碑があるだけになってしまった」という話が聞けたのは、もう陽も傾き始めた頃だった。 新幹線の時間も迫っていたので探索をあきらめ、近くを流れる高瀬川の川縁で名残の一服をする私の前を、祇園祭に繰り出すのだろうか、夕刻の志士たちが賑やかに通りすぎていった。 |
と云うわけで、無事に編集打ち合わせ&お祓いを済ませてきたのだが、今回一番衝撃を受けたのが、これである。 サンダーバードの基地でもなければ、ウルトラ警備隊の発着所でもない。 これは京都の地下鉄、東西線のホームの写真である。 昨今の転落事故の対策なのだろう、プラットホーム全体が自動ドアと透明パネルで完全に覆われている。 これなら転落事故はまず有り得ないし、列車の騒音や機械臭もある程度防止できるだろう。 昔、高架式の高速道路が未来の絵として描かれていて、それを現実に目の当たりにした時にはかなり感動したものだが、このホームのシステムはそれを上回るものであった。 |
![]() 地元の人にとっては日常の一コマ? 私はアウアウ云いながら写真を撮りまくって しまった。お登りさん丸出しである。 |
![]() 色使いもデザインもカッコいいドア。 向こう側からエイリアンが襲ってきたら、 SF映画に有りそうなシーンになるだろう。 |
![]() 列車が到着すると、まずホーム側のドアが 開き、続いて列車のドアが開く。 この連携プレイ(?)もイカス!!(死語) |
![]() 感動に立ちつくす私を後目に、列車は 静かに走り去っていった… |
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