スタニスラフスキィの遺産 俳優修業の友・補足解説付きバックナンバー 136〜140

09/02/27配信 136号
知性が、我々の求めている第二の名人だ。
それが創造の口火を切って、全体を指導するのである。


レッスンは、生徒と教師の会話形式で様々な要素を取り上げて別の名人を探してゆきます。
このあたりも引用するとかなり長くなるので俳優修業を参照していただくとして、結論としては【知性】が第二の名人として証明されます。
最終的には【意志】が第三の名人となり、この時点では【感情】【知性】【意志】を三つの内的原動力として解説していますが、以前少し触れたように、のちにK.Sは『知性を想念(想像)と判断に分け、感情と意志を合一させた』と、この分け方を改めています。

これについては数回後に取り上げますが、いずれにせよ知性(想像と判断)は創造的状態の要素に働きかける上で、あるいは俳優を役の化身とならしめる上で最も近づきやすい方法で、この後も度々知性が果たす役割について触れられています。
今回はその代表的なものを二つ引用し、わかりやすく整理しておくに止めましょう。

「創造的状態の諸要素(並びに内的原動力)は、時として潜在意識的に働き、行動に転化されることもある。そういう都合の良い場合には、それらの活動の流れに身を任せるべきである」とした上で、
しかしそれらが感応しない時には、我々はどうすべきだろう?
そういう場合には、我々は三頭政治のメンバーの一人に、おそらくは知性に向かえば良いのだ。
なぜならば、これはより言うことをきき易いからである。
俳優は、役の台詞の中にある思想を捕まえて、その意味の概念を得るようにする。
するとその概念は台詞についての意見へ導くし、意見はそれ相応に彼の感情や意志を動かすだろう。


「新しい役を演じる時、諸君は何から取りかかるかね?」と質問し、生徒達からの答えを良しとした上で、
別の言葉で言うと、諸君はみんな、諸君の内部の力を使って、役の魂を探り当てようとするのだ。
諸君は戯曲を何度も繰り返して読まなければならないだろう。
俳優がすぐに新しい役の本質を掴んで、感情の爆発一つで、その精神全体を創造することが出来るほど役に心を奪われるということは滅多にあることではない。
それよりは、まず彼の知性がテキストを部分的に把握し、次に彼の情緒が少しばかり動かされ、そしてそれらが漠然とした欲望をかき立てる、ということの方が普通なのである。
09/03/30配信 137号
(単位と目標が名人となり得るかについて)
そいつは要素(=創造的状態のエレメント)ではない。それはただ、内部の、生きた欲望や念願を喚起する(若しくは、整理し明確にする)技術的方法にすぎないのだ。
しかし、もしもそうした渇望が諸君の創造器官を活動させ、それを精神的に指導する事が出来るならば、我々はここに第三の名人を見つけたわけだ。
それは我々の【意志】である。
こういう次第で、我々は我々の精神生活における三つの推進力を、我々の魂の楽器を演奏する三人の名人をもっているのだ。


前回も少し触れたように、生徒達は他の名人を探すために様々な要素の名をあげ、教師はそれぞれについて解説してゆきます。
そして【単位と目標】に対する答えが今回配信の言葉となります。

この【意志】に関しては漠然と捉えられ、少々誤解される場合があるので、今回は特にこの部分をピックアップしてみましたが、それも含めて俳優修業を研究する上で考慮しておかねばならないことも補足しておきましょう。

それは、K.Sがシステムを文章として解説するにあたり、執筆・編集当時はまだ整理不足であったためと考えられますが、(内的要素個々の解説が終わって次の段階に行くこのあたりから特に)解説や例題が「俳優の立場のもの・役の人物固有のもの・俳優と役が融合した人物のもの」と、大きく分けて三つの立場からのものが混在している、若しくは逐次但し書きをしていないので、システムを学び始めた人にはどの立場のものとして話しているのかの誤解や混乱が生まれるのです。

例えばAという俳優がXという役を演じるとしましょう。
ここにはAの立場、Xの立場、そして実演家である俳優が形象化して演じているAXという人物の立場があります。

第二の名人【知性】についての解説は、テキストを研究し、必要ならそこに描かれている時代や風俗、習慣、思想等を理解するためにテキスト以外からもデータを集め検討するというように、ほとんどがAとしての立場のものとなります。
(勿論、Xの立場ならではの発想からしか生まれない仮定や動機、判断というものもありますが、それは上記のデータに含まれます。大きな意味での与えられた環境が小さな意味での与えられた環境を内在するのと同じです)

それに対し、【感情】はもっとずっとX寄りの立場のもので、「君の役を感じたまえ〜(後略)」と書かれていますが、これは正確には「Xの感情と『類似』した感情をAも感じたまえ(システムの用語では【体験】と言い、この最高の状態を【我在り】と言います)」という意味です。
この、役に『共感』するところから役の人物に近づいていくというのは、正しく、また良い過程ではありますが、『共感』だけでは不十分で、それだけで「内部の琴線はみんな和合するだろうし、君の表現の肉体的器官はみんな働き始める」ということはなかなかありません。
また、そこにはセンチメンタルに流されやすいという罠もあります。
つまり、『共感』はまだ第三者の立場なのです。(03/12/19配信 024号の補則解説にある『傍観者』と同様の立場なので、こちらも参照にしてください)

さて、では【意志】はというと、これも【感情】の場合と同じように(むしろそれ以上かもしれませんが)、「限りなくXに近いAXのもの」であるべきなのです。
というのも、『類似の感情』という言葉に倣って『類似の意志』という言葉を使うなら、これはかなり潜在意識的なものになる(=潜在意識閾で力を発揮するという意味で)からです。
一方で、「(K.Sも教示しているように)意志に直接働きかける手段はない」けれども、間接的になら本文のように【単位と目標】のような手段があり、また【知性】に共鳴しやすいという点では、一時的にではあるにせよ【感情】よりもコントロールし定着させやすい(=『Xの行動と感情の論理(ロジック)』に従いやすい)という側面もあります。

そこで、システムで使われる【意志】という言葉を、『Aとしての正しい内的準備が整った上での、AXとしての内的能動性』とでも解釈してみましょう。
すると、05/01/13配信 054号で教示されている目標の性質の定義(そして、超目標の性質の定義)が、すっかりそのまま【意志】の性質の定義にもなるのです。

【意志】をAの立場だけで捉えると【目標】がAだけのものになったり、『目標のための目標』という漠然としたものになったりします。
それでは「熱心なのかもしれないけれど、実を結ばない俳優の空回り」ということになってしまうのです。

繰り返しますが、本文にも「もしもそうした渇望が諸君の創造器官を活動させ、それを精神的に指導する事が出来るならば」とあるように、『渇望(=欲求、欲望、あるいは【目標と、そこに向かう能動性】)』は、Xから発生したAXのものでなければならないのです。
09/04/24配信 138号
この三つの力(感情・知性・意志)は、解き放ち難く結束した三頭政治を形成しているのである。その一つについていう事は、必然的に他の二つに関係するのだ。
(中略)
私は、私が、創造の情緒的な面に傾いている事は認める。実はわざとそうしているのだ。と言うのも、我々はとかく、感情を落としがちだからである。
まったく、計算をする俳優と、知性だけから生まれた舞台作品とがあまりにも多すぎるのだ。
本当の、生きた、情緒的な創造が少なすぎるのである。


感情・知性・意志という『我々の魂の楽器を演奏する三人の名人』が出揃った後、俳優修業のレッスンは「レッスン中に知性と意志の果たす役割については強調されなかった」という生徒からの意見に対し、教師が『我々の精神技術を用いる上での三人の名人の結びつき』について解説する件に入ります。

このあたりの例は俳優修業を参照いただくとして、今回配信の言葉の後半部分は、初心者からそれなりにシステムを学んできた者まで、様々なレベルで陥る危険性のある罠で、K.Sは常に頭を痛めていたようです。

初心者の場合は『演じる』という事自体が何かをでっち上げる方が易しいし手近なので、彼らなりに『計算』を始めます。
少し慣れてくると「観客にあれこれの印象を与えたい」と言う見地から、やはり『計算』が生まれます。
かなり出来る人でも、『役を生きる』より『再現する』方が楽なので、ともすればその傾向になりがちです。
また、『文学的すぎる戯曲へのアプローチ』も【冷淡な方法】となり、『知性だけから生まれた舞台作品』になってしまうのです。
(これらについては過去の補足解説並びに用語解説室の【ゴム判】【再現の芸術】【熱した方法(a chaud)】 等を参照してください)

つまりこれらは前回の補足解説でいえば俳優Aの自我が強すぎて、AXの自我・AXの生活(=「本当の、生きた、情緒的な創造」)を殺してしまうという訳で、三人の名人はあくまでも『我々の魂の楽器を演奏する三人の名人』でなければならないのです。

最後に、この問題にも関連した教示を、再掲になったりかなり先の方の教えになったりしますが、いくつか書き留めておきましょう。
『大俳優は感情で一杯であるべきだ。殊に彼は、自分が描いているものを感ずるべきである。彼は情緒を、単に役を研究している間に一、二回感じるだけではなく、それが一回目であろうと千回目であろうと、役を演じる度毎に多かれ少なかれ感じなければならないのだ』(トマソ・サルヴィニ)

『「生きる」ということがなくては、真の芸術は有り得ない。それは感情が物を言うところに始まるのだ』(K.S・スタニスラフスキー)

『俳優が戯曲の核心を自分自身の核心とせず、真の創造の秘密が無意識を信頼すること(無意識自体が戯曲の核心に反応する)にあることを信じなければ、彼は過去の紋切型で、つまり出来の悪い稽古で創り出される紋切型で演技せざるを得なくなる』(エヴゲーニイ・ワフターンゴフ)

『私は、日常生活では、どんなにわずかでも、何か潜在意識の要素を含んでいないような意識的適応は一つもないと断言できる。それにひき替え、舞台では潜在意識的な直感的適応が幅をきかせていると思うだろうが、私は絶えず完全に意識的な適応にお目に掛かるのだ。それが、俳優のゴム判なのである。使い古して擦り切れてしまった役には、いつでもそれが見られる。あらゆる身振りが、表情が、台詞回しが、声色が、極度に自意識的なのだ』(K.S・スタニスラフスキー)

『この【システム】は、創造的達成へ向かう途上の伴侶ではあるが、しかしこれは、それ自体がゴールなのではない。諸君は【システム】を演ずるという事はできないのである。
諸君は家では(=戯曲や役を研究し、準備する時には)それに基づいて仕事をして差し支えないが、しかし舞台へ一歩足を踏み入れたら(=実際に演技をする時には)それは傍へどけたまえ。そこではただ、創造的自然のみが諸君の導き手なのである。【システム】は参考書であって哲学ではない。哲学の始まるところで、【システム】は終わるのである。
【システム】の濫用、それにしたがってはいるが、しかし持続的集中無しにバランスを欠いて行われる仕事というものは、「行き過ぎ」になるのである。我々の精神技術を用いようという、余りにも勢い込んだ、大袈裟な心がけは、過度に批評的態度を招いたり、技術それ自身のために用いられる技術に終わったりしかねないのだが、不幸にしてしばしばそれが実状なのである。(構成)』(K.S・スタニスラフスキー)
09/05/20配信 139号
そういう芸術家は、想像上のハムレットという人間として話しているのではないのだ。
彼は、戯曲によって創造された環境におかれた人間としての、彼自身の権利において話すのである。
作者の思想や、感情や、概念や、推理は、彼自身のものに変形されている。
そして台詞を、ただ観客に理解されるように言うという事だけが彼の唯一の目的ではないのだ。
彼にとっては、「観客が『彼の言っている事に対する彼の内的関係』を感ずる」という事が必要なのである。


俳優修業のレッスン風景は、前回の教示の後も『内的原動力の相互作用と結びつき』について解説されていますが、今回配信分の言葉は以前に少し触れた、俳優A・役の人物X・俳優と役の人物が融合したAXという、三つの立場の違いがわかりやすい部分でもあります。
この三つの立場についてもう少し詳しくとのご要望を頂いていたので、今回は良い機会でもあるので取り上げてみました。

今回の言葉の前には、
本当の芸術家が「世に在る、世に在らぬ」の独白を言っているときには、彼はただ作家の思想を我々の前に差し出し、演出家から指示された仕草をしているだけだろうか?  いや、彼は、台詞の中に、彼自身の人生観を沢山入れるのである。
と言う部分があり、今回の言葉に続いてゆきます。

「彼はただ作家の思想を我々の前に差し出し、演出家から指示された仕草をしている」「台詞を、ただ観客に理解されるように言う」というのは、俳優Aとしてだけの立場(かなりレベルも低いですが…)です。

「作家の思想」や「戯曲によって創造された環境におかれた人間」は、本来俳優Aとは全く関係のない、役の人物Xのものです。(若しくは『役の人物X』を通して伝えられる作者のもの)

それに対し、俳優が戯曲や役を消化・正当化し、『俳優と役との血の繋がり』が生まれ、それらがますます強くなっていくと、今回の例にある『本当の芸術家』の『奇跡的な変形』である『俳優と役との融合』にまで達するのです。

彼は、台詞の中に、彼自身の人生観を沢山入れるのである」、「作者の思想や、感情や、概念や、推理は、彼自身のものに変形されている「彼自身の人生観」が入るので『変形』なのです)というのがこの状態で、これこそが『俳優と役の人物が融合したAX』の立場という訳です。
前回引用したワフターンゴフの『俳優が戯曲の核心を自分自身の核心とせず、真の創造の秘密が無意識を信頼すること(無意識自体が戯曲の核心に反応する)』というのは正しくこのことで、『彼自身のものに変形されている』からこそ『無意識自体が戯曲の核心に反応する』事が出来るのです。


そして更に高度な話になりますが、「彼にとっては、「観客が『彼の言っている事に対する彼の内的関係』を感ずる(=観客に、役の魂などの情緒的なものを感染させる)という事が必要なのである」というのは、『AXの状態を維持したまま、しかし俳優Aとしてのパースペクティブをきちんと持っている』と理解すればよいでしょう。
勿論実際には、芝居の間中、完全にAXとして生活するなどという事はあり得ません。
このあたりはまだ先の話なので【貫通行動線】や【潜在意識閾】、そして【パースペクティブ】が論じられるときにまた触れたいと思いますが、サルヴィニの『俳優の二重性』『中庸の感覚』についての言葉が全てを語っています。

尚、今回の言葉の後には内的原動力の相互作用について、次のような教示が続いています。
観客は、彼自身の創造的な意志や欲望についてこなければいけない。その場合には、彼の精神生活の原動力は【行動】として統一され、相互に依存しあっているのである。
この合成された力が我々俳優にとってはこの上なく重要なので、我々は適切な精神技術を発達させる必要がある。
その基礎は、例の三頭政治のメンバー達を自然な手段でもって喚起するだけでなく、他の創造上の要素を動かすのにそれらを使うために、それらの反射的な相互作用を利用するという事なのだ。
09/09/14配信 140号
もしも情緒が直接に感応するようならば、戯曲や役に感情の方面から近づくという事も可能なのだ。その場合には全てが自然に片づくのである。概念が出来て、合理的な形式が生まれ、それらが結合して、諸君の意志を動かす。
しかし情緒が餌に食いついてこない場合には、我々はどんな直接の刺激を使う事が出来るだろう?
知性に対する直接の刺激は、戯曲のテキストから捉まえた思想の中に見つける事が出来る。
感情の為には、役の情緒と外的行動との下にあるテンポ・リズムを探し出さなければならないのだ。
しかし、思想でもって直接に動かされる知性や、テンポ・リズムにいきなり感応する感情とは違って、我々が意志を左右出来るような直接の刺激というものは一つもないのである。
(中略・構成)


俳優修業のレッスン風景は、前回の「〜それらの反射的な相互作用を利用するという事なのだ」を受けて、各名人へのアプローチについての解説と【内的原動力】のまとめに入ります。

「知性に対する直接の刺激は、〜(後略)」については、09/02/27配信 136号 の言葉と二つの引用を参照してください。
また、【ポド・テキスト】に話が及んだときに、より分かり易くなると思います。

「感情の為には、〜(後略)」は後に出てくる【内的テンポ・リズム】の章で詳しく触れられています。

さて意志についてですが、俳優修業では今回の言葉に対する生徒の「(意志に対する刺激について)目標はどうなのでしょう?」と言う質問に対し、教師は
目標にもよりけりである。もしもそれが取り立てて魅惑的でないなら、それを鋭くし、生き生きとしたものにするために不自然な手段を取らなければならない事となる。(*1)
それに反して、魅惑的な目標は直接的な効果を持つ。しかし、それは意志に対してではないのだ。その魅力は情緒に大してなのである。まず、君が君の感情に心を奪われて、欲望(=何々したいという意志)はそれからなのである。だから、その意志に対する影響は間接的なのである。
と答えます。そして別の生徒の「しかし意志と感情は分離できないとおっしゃいました」と言う意見に対し、
君の言うとおりだ。意志と感情とは、双面のヤヌスみたいなものである。ある時は情緒が優勢だし、またある時は意志、すなわち欲望が優勢なのだ。だからある目標は感情より意志の方を左右するし(*2)、またある目標は欲望を犠牲にして情緒の方を強めるのである。
どっちにしても、直接的にか間接的に目標は素晴らしい刺激で、我々が大いに使おうとしているものだ。
とまとめています。

(*1)については「不自然な手段」を取らないで「鋭く生き生きとしたものにする」事は可能です。
つまり目標の選択と命名においてそれを完全に正当化し潜在意識的な目標となるまで、若しくは超目標に吸収されるまで昇華させることなのですが、しかしこの段階で【知性】が働いているため、やはりそれは意志に対する刺激ではなく知性に対する刺激という事になります。

(*2)の「ある目標は感情より意志の方を左右する」は特殊な例で、俳優修業の『ブランド』の例で言えば、ブランドと同じ信念・主義・価値観などを持った俳優がブランド役を演じれば、その目標が潜在意識的に彼の意志を刺激するといった具合です。

しかしいずれにせよ【単位】の分割と【目標】の選択・命名という時点で【知性】と言うフィルターを通過しているため、我々が意図的に【意志】に直接影響を与える手段というものは無いと考える方が良いでしょう。
そして、三名人の反射的な相互作用を利用するという事が重要になってくるし、一番近づきやすい【知性】の刺激となる【目標】に対する重要度も上がってくるわけです。
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