Legacy of Stanislavski Laboratory

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−[マ]−

【魔法のもし】

システムの中でもっとも基本となる、役や戯曲に近づく考え方で、【与えられた環境】と共に【創造的想像力】や【身体的行動】等、すべての要素に影響を与えるものです。
俳優修業では
身体的行動を遂行するに当たって、我々は【魔方のもし】と【与えられた環境】に頼る。
演劇における行動はすべて内的に正当化されていて、論理的で、一貫していて、リアルでなければならないからであり、【もし】は我々を現実の世界から想像の領域へと高めてくれるのである。
【もし】の効果の秘密は、何事も我々を強制しないという事実にある。逆にそれはその正直さで以て俳優を安心させ、仮定された状態に信頼をおくように彼を力づけるのである。
俳優のほうは、自分を強制したり、自分に仮定を現実として受け入れさせようと努力する事もなく、ただ仮定を仮定として受け入れるにすぎない。【もし】は内部のリアルな活動を呼び起こすのだが、それを自然な手段でもって行うのだ。そしてその内部の活動は、俳優を行動へと駆り立てるのである。
と説明し、チェーホフの「悪漢」を題材に、俳優と役との【類似の感情】を解説しています。また、
【もし】は出発点であり【与えられた環境】は展開だ。それが必要な刺激を与えるという性質を持つべきならば、一方は他方無くしては存在することができない。けれども二つの機能は幾らか違うのだ。【もし】のほうは、眠っている想像力に一撃を加えるのだが、【与えられた環境】のほうは【もし】そのものの土台を築くのである。そしてこの二つは、一つになったり別々になったりしながら、内的刺激を作り出すのを助けるのである。(中略)
【もし】の力はそれ自身の鋭さに依存するばかりではなく、【与えられた環境】の輪郭の鮮やかさにも依存するのである。
と、【もし】と【与えられた環境】の相互作用を解説しています。
この[出発点と展開]の例えは一見逆のような気がしますが、【貫通行動線】や【超目標】にまで理解が及ぶと、なるほどまさしく、という思いです。

◆関連バックナンバー:03/07/01配信 008号〜

−[ミ]−

−[ム]−

−[メ]−

−[モ]−

【目標】

俳優の行動(特に内的行動)の目的(=何のためにそれをするのか?)となるもの。
システムでは【単位と目標】と言う章があるように、単位に大小があれば当然目標にも大小があり、小さなものでは1つの台詞やちょっとした身振り・仕草から、大きなものでは戯曲全体に渡って潜んでいる無意識的なもの(これを特に超目標という)まで様々です。
単位と同じように、小さな目標は次の小さな目標に続き、それらの連続線がより大きな目標となったり、或いは変形してより大きな目標に吸収されたりといった過程を辿り、最終的には超目標に集約される様になると理想的と説かれています。
(個々の俳優の超目標と戯曲の超目標(或いは上演という事を意識した【究極の超目標】)はそれぞれ違う形を取るが、それらは各々の役の【作用と反作用】を担う役割から来る)

正しい目標の性質については厳しく規定されています。(05/01/13配信 054号 参照)
また、目標は動詞で表せと言うのも、システムの有名な教示です。(04/10/26配信 049号 参照)
◆関連バックナンバー: 04/09/24配信 047号 等

【紋切型】

所謂ステロタイプと云われるもので、多くの場合、外的性格描写における誤った方法として【機械的演技】と関連づけて論じられています。

これも、二つのタイプにわけて考えた方が分かりやすいでしょう。
最初のタイプは[ある役の演じ方]として継承されている紋切型、そしてもうひとつは[感情や心理状態]を表現するとされている紋切型です。

[役の演じ方]の方は、古典的な戯曲等に於いて、或る役を演じる演技者が、過去にその役を演じた演技者から、台詞廻しの方法や身振り・仕草などの影響を(意識的、無意識的を問わず)受け、その方法を外的な形式としてのみ受け継いだ場合に現れます。
これは、その演じ方がはじめて生まれた時には生きていたかも知れないものが、その役の内面を置き去りにされたまま模倣された結果なのです。
つまり、[**という役の、若しくはこういうタイプの役の(何たること!)、どこそこのシーンは、これこれこんな風に演じる]という、演じ方の紋切型です。

[感情や心理状態]の紋切型の方は、或る感情や心理を表すとされる[出来合いの記号]を使う方法です。
[悲しみ]を表すのに両手で顔を覆うとか、[絶望]を表すのに髪の毛を掻きむしるとか、[強い意志]を表すのに両眼をカッと見開くとか、[厳格さ]を表す為の低く遅い物言いや、その逆の効果を出すための声高で軽妙な台詞廻し等々で、ゴム判と違うのはそれに手を加えて工夫をしていることです。
こちらは[**という感情や状態は、こんな風に演じる]という、紋切型と言えるでしょう。

いずれもその表現方法自体に重きが置かれ、それを生み出した本質やその時の情緒や心理が置き去りにされるのが特徴でしょう。

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