−[ハ]− 【俳優修業】そこには、稽古や公演等の実践で検証された俳優の創造過程における自然の法則(K.Sは自然の本性と呼んでいた)が、その各要素、そしてそれらを統一し働かせるための方法(メソッド)として体系化されています。 その内容をこのスペースで論じることはとても出来ないので、ここでは少し違った角度からの解説をしたいと思います。 この本はK.Sの前書『芸術における我が生涯(MY LIFE IN ART)』と違って、半フィクションの形で書かれています。 編集者は各スタジオ(研究劇場)での講義禄のように、ノンフィクションの形で実例を挙げる方が説得力があると考えたようですが、K.Sにとっては様々な『自然の本性についての断章』をシステマティックに纏め上げるには、半フィクションの形の方が都合がよかったと考えられます。 (実例を用いての解説では、一時に起こる各要素の絡み合いや技術的手段の解説が、あまりにも複雑になりすぎた事でしょう) また晩年の、オペラ・ドラマ研究劇場の教授細目の上演資料にも見られるように「理論など我々には無用だ。芸術には、芸術の言葉を使わねばならぬ。俳優芸術とはACTの名の通り行動の芸術なのだから、我々は我々の言葉、つまり行動でもって示さねばならない」という考えを文章化するには、やはり半フィクションの形の方が向いていたのでしょう。 さらにもう一つ。 K.Sは、稽古場や公演の記録に窺われるように、実は大変子供っぽい、ナイーブなところがあり、ここでもある目論見(?)を持っていたようで、それも影響していると思われます。 当初この本のタイトルは『ある演劇学校の生徒の日記(ノート)』として発案されていました。 その中には大きく分けて『体験』『身体的形象化』という二つの部分と、当時まだ模索中でもあった『形象の表現のための仕事(システムを体得した上での、様々な様式における形象の創造)』が、おぼろげながらも形成されつつあったようです。 (倫理の問題は、全編に渡って存在しています) この『体験』の部分が『An Actor Prepares』として、そして十数年後に『身体的形象化』が『Building a Character』として出版されるわけですが、この出版の事情と当時の演劇界の複雑な事情により、システムは大きな誤解を受けることになります。 そのあたりの事は、後日、別項にまとめたいと思いますが、日本語訳のタイトルが原案のタイトルにニュアンス的に近づいたのは、何となく嬉しい気がします。 ◇ ◇ ◇ ◇ さて、俳優修業が半フィクションのため、その個々の登場人物やエピソードはフィクションなのか実際にあった事なのか、あったとすればそのモデルは? というよく受けるご質問に、分かる範囲でお答えしたいと思います。 まず、実在の人物の人名や本当にあったエピソードをそのまま持ってきたものとして、モスクヴィン、カチャーロフ、レオニードフ等はモスクワ芸術座の俳優、オストロフスキィ、チェーホフ、ゴーリキィ等は勿論有名な作家・劇作家です。 また、サルヴィニのオセロウに対する感想と彼の準備の様子の観察、最高の超目標に関するペテルブルグ公演の描写、ストックマンの役で起こった事についての検証、ある女優(ステラ・アドラー)に貫通行動線と超目標を指導したエピソード等も、実際の出来事です。 次にフィクション部分としては、まずこの演劇学校自体があげられます。 これはよくモスクワ芸術座だとかそのスタジオだとかと思われがちですが、実際にはK.Sの考えていた『理想の俳優学校(K.Sは「歩む学校」と呼んでいた)』をモデルとしています。 従って、俳優修業が書かれる前から芸術座付属スタジオなどで行われていた各要素の訓練法は勿論収録されていますが、それらの訓練をしていたスタジオがモデルになったのではなく、K.Sの理想がある程度は幾つかのスタジオで現実化していたと捉える方が正解です。 (ある程度というのは、つまり俳優修業に書かれているほどカリキュラムがシステム化されておらず、また運営が組織化されていなかったという意味です) 続いて教師達やそこに学ぶ生徒達ですが、上記の理由で、やはり基本的には架空の人物です。 「アルカージィ・ニコラーエビッチ」と父姓まで持つ演出家トルツォフ(Tortsov)は、K.Sがモデルと捉われがちですがこれも正確ではありません。 彼の体験談の引用は確かにK.Sのものですが、トルツォフもまた『理想の教師像』であり、むしろ主人公のコスチャ(K.Sの愛称)こそ、K.S自身の経験がモデルになった人物と考える方がニュアンス的には近いでしょう。 (フィクションの世界で、老教師のK.Sが俳優志望の学生時代のK.Sを指導している、というのが一番正しいでしょうか) 他の生徒達については、モデルとしての決定的な資料はないようです。 コスチャがK.S自身だとすれば、共に学んでいる生徒達という意味では、例えばマリアは彼の夫人であったマリヤ・リーリナから、レオはレオニード・レオニードフから、ワシリィはカチャーロフかルージスキィから愛称だけを拝借したとも考えられますが、これは私の勝手な憶測なのでたぶん正しくないでしょう。 トルツォフやその他の登場人物については先ほど少し触れたK.Sの目論見(?)がここで関係してくるのですが、半フィクションの形を採用した時、K.Sはその登場人物に属性を示すような名前をつける事に決めていたそうです。 そして、トヴォールチェストヴォ(創造)という言葉からトヴォールツォフ(創造者)と教師を名付けたとあります。 他にはチューストヴォ(感覚)からチューストヴォフ、ラスードク(理性)からラスードフ等で、これらは語源を見失わない範囲でその後も修正され、トルツォフ、シュストフ(ポールの伯父さん)になったとされています。 ラスードフに関しては、ロシア語能力ゼロの私には分かりませんが、理性という意味ではラフマーノフではないかと推測しています。(ラフマーノフはスレルジーツキィが幾分モデルになっているとも感じられます) さて、こうして考えると、実は生徒達にも属性が示されているのではないかと思えてきます。 俳優修業の内容から想像するとグリーシャ・ゴボルコフは「形式」、マリア・マロレトーヴァは「漠然」、ワーシャ・ヴェンツォフは「怠惰」等々ですが、どなたかロシア語に堪能な方がおられましたら、是非ご教示願いたい次第です。 この項の引用資料:クリスティ/俳優修業の実際 :ベネディティ/スタニスラフスキー伝 1863-1938 【反復性】一つ目は、稽古や何十回にも及ぶ公演により役が新鮮味を失い機械的演技になるような場合の「反復性による弊害」というような使われ方です。 K.Sはこの問題に対して【役の衛生(=リフレッシュ)】という言葉を使い、演ずる度毎の俳優のウォームアップを説いています。 またシステムで、俳優訓練の初期から【即興性】という要素を持った訓練が取り入れられるのもこの為です。 もう一つは、上記の「反復性による弊害」の克服を含めた、『何度演じても同じ事が出来なければならない』という、俳優に課せられた『再現能力(【再現の芸術】と区別するために再創造能力という方が良いかもしれません)』の事です。 一方、俗に「芝居は水もの」と言われるように、まったく同じ事を繰り返すことなど出来はしませんし、そんなことを望む必要もありません。 むしろその度毎の潜在意識閾での情緒的体験や、そこから生まれる微細な変化の方が芝居に生命を与えるものです。 しかし、ある一定の水準なり規定(例えば映像では、走り込んできて止まる位置が数センチ違うとNGという事もあります)なりを保つということも必要なわけです。 そこで『何度演じても同じ事が出来なければならない』という能力が要求されるのですが、私はいつもこれをある例えにして説明しています。 特A級と書かれた箱に入っている何房かのブドウがあったとしましょう。 それぞれの房は、そしてそれぞれの一粒一粒は、形も大きさも色も味も微妙に違う事でしょう。 しかしそれぞれはみな、特A級の名にふさわしい水準を保っているし、またそうあるべきなのです。 俳優の演技も丁度これと同じように、毎回何らかの差異はあったとしても同じレベルを保てる、という反復性が要求されるというわけです。 ◆関連バックナンバー: 06/04/13配信 082号 −[ヒ]−
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【ポド・テキスト】
俳優修業ではサブテキストとして以下のように解説されています。それは、役における人間の、はっきりとした内面的に感じられる表現であって、テキストの言葉の下を途切れぬ事なく流れ、それに生命と存在の根拠とを与えるものである。生徒の一人がポド・テキストについて「それは第2プランとどう違うものなのでしょうか?」と尋ねたといいます。 (第2プランとはミネロビッチ・ダンチェンコが使っていた教義の一つで、簡単に言えば「テキストには明示されていない、若しくははっきりとは現れていないが、そのテキストの生成において考慮された資料や仮定等に基づいて(場合によっては付け足して)、俳優が戯曲を解釈し演技や表現を考慮する際に用いる裏設定的なプラン」) それに対しK.Sは「内容的に重なる部分もあるが、私にとってポド・テキストは第2プランより遙かに豊かで、深くて、実りのある、重要で実用的なものである」と答えています。 このあたり、劇作家のダンチェンコと俳優のスタニスラフスキーの違いがよく出ていて面白いところでしょう。 ◆関連バックナンバー: 16/04/11配信 107号 |
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